なんだかずーっと落ち着かなかった年末年始が終わり、初出勤でメンタルを削られた後のシフト休が今。実家暮らしだと完全に一人の時間が貴重でうれしい。そしてさみしい。
最近というかここ数年というか、両親の仲が悪い。もうはっきりと認めないといけない。積年のなんとやら、ではないが最近は多い。どっちが悪いという話ではない(と思う)のでジャッジはしたくないのだが、間にいる人間としてはただしんどい。妙な緊張をするし、気を遣うし、自分が実家を出たら即離婚するのではないか?とすら思えてくる。こういう家庭内のバランスをとろうと考えること自体が昔から変わっていない癖で、29歳になろうとする男が持つには悪癖と言わざるを得ないものだが、それでも考えてしまう。子は親に対して無条件の愛を持っているから、それが否定されるのはしんどいのだ。いい加減にしてくれ、と思う気持ちはあってもそれを改善するようにはできず、お茶を濁すことしかできない自分が情けないとも思うが、もう考えるのが疲れるのよね。
年末は古い友人と遊んだ。服を選んでもらって、年相応の恰好に近づける機会なので素直にうれしいと思う。自分で選んだ服はセンスがないので、第三者の感覚が非常に助かる。
酒の席では近況を聞いたりして相変わらず自分がダメージを受けることになるなどした。まっとうに人生をしているというか、順当に社会人しているし、彼女もいて家庭を考えていて、先への展望が見えているな、と思った。俺はそのあたり考えるのが嫌すぎて避けているから、その差が今回ははっきりと見えてしまった。というか友人にハッキリ言われてしまった。普通なら取っ組み合いになる地雷を踏まれたわけなんだけど、そういう奴だし、それを言われても怒らない俺だから成立している。事実は受け入れないといけないからね。まあかなり傷ついたけど。事実は事実なので。結局羨んだりしてもそれに対する努力というか、自分が良くなるための苦労というのが出来ていない。それをしないといけないわけではないが、何もしないで羨むだけで足を引っ張るのはだめだと。できない自分であり続けようとするのは良くない。それが安心することだったら、変わらないと。ってね。整理しようとする今でも心がざわついてうまくいかない。それだけ核心を突かれたし、ここに多分自分の病理的な屈折があるのだと思う。それを崩すのが正解ではないかもしれないけど、認識はしたほうがいいので書いた。
そして、パートナー問題。単純に友達が欲しいし、さみしい。何もかも面倒だけど、何もしない自分が変わるには人との交流を増やさないといけないと思っている。一人になりたいと思うときもあるし、その時間は(今みたいに)必須なのだけど、こういう文章に書き起こすようなことをそのまま言える相手がいたらどれだけ楽になるのだろう、と考えてしまう。確かに今、俺は満たされていない。ずっと昔からかもしれないけど、人生に適応できていない。ダウナーに入っている自覚もあるが、とにかくそう思う。
年末年始のことを書こうと思ったけど、内省が手を走らせてしまった。今年の目標はなんだろうね。とりあえず死なないこと、あとは前向きになることかね。変わらないことを良しとする自分の価値観を変えたいと思うけど、言ってることが矛盾しているね。
今日はこのへんで。間をなるべく開けないで更新したいね。まあ気が向いたら。